野球人としての先輩たちの今 – 清岡 伸次さん

ゲスト: 清岡 伸次 さん

米山運送株式会社

経歴: 愛工大名電高校
社会人硬式野球クラブチーム Nagoya23
米山運送株式会社

高校時代

本日はよろしくお願いします!
愛工大名電高校での 3 年間を振り返っていかがですか?

名電は春日井市の神領にグランドと寮があり野球部員の全員が一緒に暮らしています。平日は 3 時間ほどの練習で、試合ができる期間の週末は全部練習試合が組まれていました。また、22 時が寮の消灯時間なので毎日時間までに食事や自主練、洗濯などを行っていました。厳しい上下関係はあまり無かった印象で普段からみんなで生活しているので比較的仲は良かったと思います。3 年の夏は準決勝でライバルである東邦に勝ち、甲子園目前となった決勝で至学館に負けてしまい、とても悔しい思いをしました。でも、名電での 3 年間はとても楽しかったですし充実していました。

清岡さんは 1 年の秋から名電の正捕手として試合に出場されており、1 つ下の学年の元中日ドラゴンズ 濱田達郎さんとバッテリーを組まれていました。激戦区 愛知県で甲子園を目指す中で日々意識していたことはなんですか?

自分たちの代も含め愛知県の予選は簡単な試合は本当にありませんでした。自分はキャッチャーだったので、特に配球やセカンドスロー、フィールディングなどの練習に時間に費やしていました。愛知県の私学 4 強の中でも東邦をライバル視していました。東邦は打撃が凄くて、こちらのピッチャーが濱田でも抑えるのは簡単ではなかったです。そして、多くの方々が名電と言えば“バント”というイメージがあると思いますが、バント練習はかなりしていました。

倉野監督からの教えで印象に残っていることは何かありますか?

よく倉野先生が人として成長しなければ、技術の成長はできないという考えから「野球は生活だ、生活が野球だ」と仰っていました。当時はあまり意味が分からず、とりあえず野球を一生懸命やろうと思って励んでいましたが、社会人になってから言葉の意味が分かるようになりました。 野球より先に人として成長しないといけないと何事もダメなんだと思いました。そういった面では高校の時は当たり前のように寮生活をしていましたが、その環境で洗濯や食事の準備、掃除など当たり前な事を当たり前にする事を教えていただいたのは名電であり倉野先生でした。また、倉野先生の 「追う者強し」という言葉も印象的です。試合の後半に差し掛かったタイミングで勝っていて逃げ切るよりも、負けていて追いかける方が、精神的に強いということです。勝っているチームは、勝ち逃げしたいという気持ちが強くなり、細かい部分でミスが出始めます。そこを見逃さずに攻めるんだということをよく仰っていました。これも今、社会に出てから仕事や私生活において自分の目標を決めて、自然とそこに向かって頑張ることができている 1 つの背景でもあると思います。

社会人クラブチーム時代

高校卒業後は、社会人硬式野球クラブチーム Nagoya23 で 2 年間野球をされていました。なぜ大学ではなくクラブチームという選択肢をとったのですか?

当初は愛工大名電の付属である愛知工業大学に進学し野球をしようと思っていましたが、豊田大谷高校の元監督である中村さんからご連絡をいただいたことがきっかけで、社会人クラブチームの Nagoya23 で野球を続けることになりました。実は私の兄が豊田大谷高校の野球部だったため、そのご縁もあり中村さんに紹介いただきました。Nagoya23 で野球をやればトヨタ自動車や JR 東海、東邦ガスといった強豪企業と試合もできるので Nagoya23 へ入部することに迷うことはありませんでした。

社会人のクラブチームでプレーをする選手も最近増えてきているという話を聞いたことがありますが、どんな環境でしたか?

私が Nagoya23 へ入団した時、他のクラブチームもかなり多くの人数が入ったと聞いています。エディオンや浜松ケイスポーツといったクラブチームは特にレベルが高く企業野球部にも引けを取らない強さでした。環境に関しては、正直かなり厳しい環境だったと思います。
専用の球場がないため早い時は午前6時から球場を借り練習をしたり、雨の日は近隣の体育館で練習をしたりしていました。また、試合で遠征になった場合の交通費などは全て自費なので、金銭的にもかなり厳しい環境だったと思います。

社会人のクラブチーム時代は仕事をしながら野球をしていたということで、当時仕事はどんなことをしていましたか?

Nagoya23 で野球をしていた 2 年間は野球スクールでインストラクターをしていました。主に小中学生に指導することが多かったですが、老若男女問わずどんな方でも野球が楽しめるように心掛けてやっていました。

野球引退後

Nagoya23 で野球を引退した後、会社員としてご活躍されていらっしゃいますが、どんな仕事をしていますか?

現在は、米山運送という物流会社でトラックの運行管理などの仕事をしています。主な業務は、ドライバーの乗務割の作成、乗務記録の管理、休憩・睡眠施設の保守管理、ドライバーの指導監督、業務前後の点呼によるドライバーの疲労・健康状態等の把握や安全のための指導などです。人や車両の動向を掌握して常に安全を確保するように心掛けています。

今までやってきた野球での経験が、社会人になって活きていると感じることはありますか?

礼儀やマナー、お客様や目上の方への言葉遣いなど高校時代に先輩方、監督やコーチへの言葉遣いや気遣いなどが社会人になった今、すごく活きていると思っています。この点は、新入社員研修も必要のないくらいだと思いますので、野球を通して大人として当たり前のことが当たり前にできるようになりました。子供のころからやってきた野球で教わったことが無駄ではなかったんだなと思い、野球をやってきて本当に良かったなと思っています。

最後に野球人としての後輩たち、就活を控える大学生や、転職を考えている方たちに向けて、アドバイスをお願いします!

夢や目標に対してこうすれば達成できるという事を一つ一つ設定し達成していく事で夢や目標に近づくと思います。それまでに辛い事や、苦しい事などたくさんの苦悩があるかもしれませんが、その経験が一番の近道だと私は思っています。何事も最後まで諦めないで頑張ってください!皆様の今後の活躍を祈っています!

お忙しい中本日はありがとうございました!

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