Special Interview
スペシャルインタビュー

高校通算40本の元プロ注目スラッガー 不動産ベンチャーでの挑戦

インタビューの様子

ゲスト: 宮武 佑磨 さん

株式会社HOUSTART

経歴: 三重高校
明治大学
ミネベアミツミ株式会社
株式会社HOUSTART

高校時代

本日はよろしくお願いします!
宮武さんは名古屋フレンズ(現 名古屋ボーイズ)時代から
ボーイズの中日本選抜に選ばれ海外遠征にも行かれているとお伺いしております。
なぜ三重高校に進学されたのか、また三重高校での3年間を振り返っていかがですか?

私は三重県出身なのですが、中学生の時に所属していたボーイズリーグのチームが名古屋にあったこともあり元々は中京大中京に進学したいと思っていました。でも、三重高校から特待生のオファーをいただき三重高校に進学することにしました。三重高校では入学して1年生の時から4番として試合に出し続けていただけて本当に良かったです。ただ、下級生の時からレギュラーということもあり、私が調子に乗らないように監督からは厳しい指導がありましたがそれも含めて今の人生に役立つ良い経験になったと思っています。

三重県を代表する名門校という高いレベルの中でご自身が意識されていたことはどんなことがありますか?

私の場合、1年の時から試合に出していただいていて、活躍し続けるためにとにかくがむしゃらに野球をやるということ、あとはケガをしないことの2点を意識していました。

3年夏に甲子園にも出場され宮武さん自身も高校通算40本のスラッガーということで甲子園の注目選手でしたが甲子園での雰囲気、経験はどうでしたか?

もちろん甲子園をずっと意識して野球をしてきましたので自分たちの代で甲子園に行くことができて本当に良かったです。また、甲子園では2回戦で負けてしまったのですが
やっぱり甲子園では三重県大会では考えられないほどの大きな応援があって、その中でプレーできたことや応援に駆けつけてくれた皆様に感謝しています。

大学時代

高校時代にはプロ注目選手でもありましたが、なぜ大学への進学を決断されたのですか?

高校の時はありがたいことにプロ野球の数球団が視察に来ていただけて
下位指名であればドラフト会議で指名できるということは聞いていました。
ただ、高校3年のそのタイミングでは既に明治大学への進学が決まっていたこともありますし、それ以上に高校の時点でプロの世界で活躍できる自信がなかったこともあります。あと、仮にプロ野球選手になれたとしても野球がダメになってしまった後のことが心配で、本当にプロ野球選手になって活躍できる素質があるなら大学卒業後でもプロになることができると思ったので最終的に大学への進学を決断しました。

大学時代には故障に苦しんだということを聞いていますが、どんな思いで大学野球に取り組んでいましたか?

大学3年の時に肘を故障してしまって3年生の1年間は試合に出ることができなかったのですが、そのことでめげることなく早く復活をして、また試合に出るという前向きな気持ちで常にいました。実は高校生の時に野球ではなくて授業のバスケットボールで肩を脱臼してしまったことがあり、当時、高校の監督から厳しい練習への参加はしなくても良いからできることをやって早く完治させなさいという指示をもらいました。それで、脱臼が完治するまでの間にできるトレーニングに集中した結果、復活した後は脱臼前よりも状態が良くなっていました。この経験が大学で故障した際にも気持ちを保ち続けることができた背景でもあります。

明治大学での野球を通じて人生の糧になっていることはありますか?

明治大学の野球部には “人間力野球” というモットーがありまして、明治の野球部はプロ野球選手の養成所ではなく、社会人になってから活躍できる人材を育てる場と言われていました。ただ勝ちを求める野球ではなく、どのように勝利を勝ち取るか、そして社会で通用する人としての成長が求められる環境でした。当然練習も厳しかったですし、当時は理不尽なこともありました。大変だなと感じる時もありましたが、状況に合わせて臨機応変に物事を対応できるようになったこと、嫌なことや落ち込むようなことがあった時も気持ちの切り替えがスムーズにできるようになりました。本当に人間力を鍛えていただけたなと大人になって改めて感じています。

大学生の時、就活はどのようにされましたか?

社会人野球へ進む選択肢もありましたが故障も経験しているので、大学卒業後は仕事で頑張ろうと決めていました。でも実際のところ就活をする時間をあまり作ることはできずという中でリーグ戦の慶應大学との試合で活躍することができ、リーグ優勝をすることができました。そして新聞に私を載せていただけることになり、その時、明治の監督が気を遣ってくれて記者の方に宮武の進路は未定と伝えてくれました。そのことも新聞に掲載いただき、元ミネベアミツミの常務だった方がこの新聞を見て声をかけてくださり無事ミネベアミツミに入社することになりました。この常務の方は慶應大学出身で昔三重高校でも野球部の監督もされており高校時代にグラウンドでお会いしたこともあります。そして、高校から明治大学に進学する際も、慶應と明治が同じ東京六大学ということもあり明治に進学しますとご挨拶したこともあって就職のことでお声がけをいただけたと思っています。なので野球を通してお会いする方々との関係の大切さとありがたみを実感した瞬間でもありました。

社会人

そして社会人として1社目のミネベアミツミではどんな仕事をしていましたか?

新卒として入社した後は人事の業務を担当しておりました。浜松工場と軽井沢工場での勤務を経験し自社採用、社内研修、海外からの研修生の迎え入れ、派遣会社様との打ち合わせ等の仕事をしていました。2つの工場で人事業務を経験した後に異動となり本社の人事で給与担当をしていました。

そこから転職されたのは、どんな理由があったのですか?

転職理由について主に2つの理由があります。一つは子供が生まれたことで、実は本社勤務を経験した後は、海外への転勤がほぼほぼ決まってしまっている状況で子育ての関係もあり地元とも近い名古屋で仕事ができれば良いと思ったことです。二つ目はずっと営業がしたいと思っていたことです。しかも対法人のBtoBではなく個人顧客向けのBtoC領域で営業がしたいと思っていました。それは友人や会社の同期とご飯に行った際に私が率先して色んな初対面の方に声をかけに行っていて、みんなに営業に向いてるよって言われていて、その影響もあります。あと本心として常に色んな方に会いたいと思っているということもあります。だからBtoCだなと思いました。でも転職を考え始めた当初はミネベアミツミが大企業ということもあって大企業が良いと思っていましたが、改めて自己分析をしている中で、実はベンチャーに向いていると感じました。そして、そのタイミングで中学時代のボーイズの先輩でHOUSTARTの社長からお誘いをいただき転職することを決めました。HOUSTARTは不動産ベンチャーで、話を聞くまでは勝手なイメージで不動産業界は何か怪しいと思っていましたが、その不安も社長が細かいところまで教えてくださり解消されました。また、ベンチャー企業への転職はメリットもたくさんあると思っています。創業期に近いタイミングで入社し活躍することができれば役員等の幹部になれる確率が高いですし、大企業のように人数も多くないので経験できる業務が多くスキルアップできることや会社のとしての方向性を決める判断も早いため事業の成長を目の当たりにすることができることなどです。

そして今は株式会社HOUSTARTの取締役として活躍されています。
どのような仕事をされていますか?

まず、HOUSTARTは『今日もいい日』をつくる家。をスローガンに掲げ、お客さま、業者の皆さん、スタッフ、関わる全ての人が笑顔になれる「今日もいい日」だったなを提案しています。その中で現在は会社の経営に携わりながら不動産売買と仲介、注文住宅の建築、住宅・マンションのリノベーションやリフォーム、住宅の建売分譲、宅地の造成分譲、土地の仕入れ等の業務に従事しています。

今までやってきた野球での経験が、事業会社での仕事になって活きていると感じることはありますか?

難しそう、大変そうという仕事があった時にも常に前向きな気持ちで仕事に向き合えていることと野球の縦社会の中で培った目上の方々の懐への入り方や立ち回りは野球を通じた経験から身に付いたもので、社会人になってからも仕事でとても活かされています。

最後に野球人としての後輩たち、就活を控える大学生や、転職を考えている方たちに向け
て、アドバイスをお願いします!

私は不動産業界に転職をして誰にも負けたくないという思いで仕事をしていて、難しいと言われている宅建の資格も半年ほど勉強に追い込みをかけて1発で合格ができました。今後キャリアを築いていく中で達成すべきことがある場合は野球をやっていた時の追い込みを思い出してください。また、転職を経験して世の中にはたくさんの仕事があると感じました。もちろん就活は頑張った方が良いですし、一度自身で決めたことは簡単に諦めずに頑張って欲しいですが、一つの会社にこだわり続けたり、しがみ付いたりする必要はないと思っています。大事なことは、自分がどの会社で輝ける(活躍できる)かどうかです。この点を意識して会社や仕事を選択してみてください!

お忙しい中本日はありがとうございました!

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